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札幌高等裁判所 昭和56年(う)59号 判決 1983年2月08日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山田直大、同永松栄司、同堀内節郎提出の控訴趣意書及び弁護人武田庄吉提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官田中豊提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

弁護人山田直大、同永松栄司、同堀内節郎の控訴趣意及び弁護人武田庄吉の控訴趣意第一について

所論は、原判決は、被告人が株式会社福森工務店代表取締役福森隼吉を介して苫小牧市建築部建築課主査西島廣人に対して二回にわたり現金及び小切手で合計五〇万円を賄賂として供与したとの事実を認定したが、そのような事実はなく、原判決には事実の誤認があると主張し、証拠関係について詳論するものである。

そこで、記録を調査し当審における事実取調べの結果を合わせ検討すると、原判決は、左記の理由により破棄を免れない。

一本件公訴事実の要旨は、被告人は、暖房・熱供給・電気等設備工事の請負を事業目的とする三機工業株式会社(以下「三機工業」という。)の苫小牧市末広地域暖房現場事務所の責任者として、同社が同市から受注する熱供給サブステーション設備工事の受注施工に関する業務を統括していたものであるが、苫小牧市の建築部建築課主査として、同市が発注する公共施設等の暖房・熱供給・衛生等設備工事の設計・指導・監督・検査及び同機械・部品等機械の選定・検査並びに施行業者の選定に関し建築部長らに意見を申述する等の職務に従事していた西島廣人に対し、三機工業が苫小牧市から受注した昭和四九年及び昭和五〇年度中心街南地区熱供給サブステーション設備工事の設計・指導・監督及び検査並びに施行業者の選定に関する意見申述等に関し、西島から便宜な取り計らいを受けたことの謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに、福森隼吉を介し、昭和五〇年一〇月三一日ころ、同市旭町四丁目六番六号同市職員会館内喫茶店「樹林」において現金二五万円、同年一二月一二日ころ、同所において金額二五万円の小切手一通を各供与し、もつて西島の職務に関して贈賄した、というのである。

これに対して、被告人は、捜査段階の一時期を除いて捜査段階及び公判を通じて右贈賄の事実を否認したうえ、被告人は西島から苫小牧市の福森工務店に対するいわゆる借工事代金八〇万円の立替払いを依頼されて承諾したことがあり、これに基づき、三機工業の下請業者である有限会社坂本設備工業の代表取締役坂本一昭に依頼して八〇万円を捻出してもらい同人を介してこれを福森隼吉に支払つたところ、被告人の意思に反して右八〇万円中の五〇万円が福森から西島に渡され、これが賄賂の供与として嫌疑を受けたものである旨弁解している。

原審は被告人の右弁解を排斥し、公訴事実記載のとおり贈賄の事実を認定し、被告人に対し懲役八月・三年間執行猶予の判決を言い渡した。

二右公訴事実に関し、証拠によりほぼ確実に認められる事実は次のとおりである。

(1)  被告人は、昭和三八年四月、三機工業に入社し、その後、同社空調冷熱本部開発部地域暖房課課長代理となり、昭和四九年五月一日から昭和五一年四月三〇日まで同社の苫小牧市末広地域暖房現場事務所(以下、単に「三機工業事務所」という。)の責任者として、同社の公訴事実記載の各工事の受注、施工に関する業務を統括していた。

西島廣人は、昭和三一年一一月、苫小牧市ボイラー技師に採用されて同市職員となり、同市建築部建築課技師などを経て、昭和四七年四月以来、同課主査として公訴裏実記載の職務に従事していた。

(2)  昭和五〇年四、五月ころ、被告人は、西島から、三機工業の公訴事実記載の受注工事で八〇万円くらいを捻出してもらいたい旨依頼され、その際又はその後、右八〇万円を福森工務店の代表取締役福森隼吉に渡してもらいたい旨依頼されて、これを承諾した。そこで、被告人は、同年七月下旬ころ、三機工業の下請業者の坂本設備工業の代表取締役坂本一昭に対し、「福森工務店に八〇万円を支払う必要があるので、坂本設備工業が三機工業から請負う同市東小学校の給排水設備切替工事で正規の工事代金一〇〇万円に八五万円を水増し上乗せして三機本社に代金を請求し、一八五万円の支払いを受けて、その中の八〇万円を福森工務店に支払つてもらいたい」旨指示した。

そこで、坂本は、そのころ、三機工業本社に対して右工事代金として一八五万円の請求をし、同年九月三〇日金四八万円、同年一〇月三一日金五三万円余、同年一一月二九日金三三万円、同年一二月三一日金五〇万円の各支払いを受け、福森隼吉に連絡して、同人に対し、福森工務店発行の領収書と引換えに、同年一〇月三一日金二五万円、同年一二月三〇日金五五万円を支払つた。

(3)  福森は、福森工務店が以前から苫小牧市の発注する請負工事を行つていた関係で、西島と親しく交際していたが、昭和五〇年中、西島から、「三機工業から八〇万円を回してもらうので、これを受取つて自分に渡してもらいたい」旨頼まれて、これを承諾した。そこで、福森は、被告人及び坂本と連絡をとつたうえ、同年一〇月三一日、坂本から現金二五万円を受領し、同日、公訴事実記載の喫茶店で、西島にこれを渡した。その後、福森は、西島から三機工業から回つている金を早く受取りたい旨暗に催促を受けたので、坂本から受領する予定の残金五五万円の一部を自分が立替えて支払おうと考え、同年一二月一二日ころ、公訴事実記載の喫茶店で、福森工務店発行の額面二五万円の小切手一通を西島に渡した。次いで、福森は、同年一二月三〇日坂本から前記五五万円を受領したので、翌五一年一月上旬、西島に対して、右五五万円と前記小切手金二五万円との差額三〇万円を渡そうとしたが、西島から右金員は福森工務店の税務対策費に使つてほしい旨言われたので、右三〇万円は西島に渡さなかつた。

(4)  福森工務店は、昭和四九年中、苫小牧市の発注したしみず保育園の暖房工事及び同市職員独身寮の温水ボイラー設備工事を施工したが、西島の指示により設計見積の範囲を超えて、金一七万九〇〇〇円、金一一万五〇〇〇円及び金六五万五六〇〇円相当の各追加工事を施工した。西島は、右各追加工事代金について市の正規の予算で支払うのは都合がわるいので、他の業者に依頼して右各金員を捻出させて福森工務店に立替え支払わせようと考え、昭和五〇年四月初めころ、同市から前記独身寮の厨房設備工事を受注した和光商会の苫小牧出張所長代理伊林清治に対し、正規の工事代金に六五万五六〇〇円を水増し上乗せして同市に代金を請求する方法によつて右金額を捻出したうえ、これを福森工務店に支払つてもらいたい旨を依頼した。伊林はこれを承諾し同市から金六五万五六〇〇円の過払いを受けて、同年一一月一〇日ころ、右金員を福森工務店に支払つた。また、西島は、同年一〇月初旬ころ、日管建設株式会社の小泉力に対して同様の依頼をし、小泉は同年一一月二〇日ころ、同市から金一七万九〇〇〇円の過払いを受けてこれを福森工務店に支払つた。更に、西島は、同年一〇月初旬、藤田水道設備株式会社の藤田清晴に対しても同様の依頼をし、藤田は同年一二月二七日ころ、金一一万五〇〇〇円を福森工務店に支払つた。

三そこで、被告人が西島の依頼に基づき坂本一昭に指示して捻出させ同人を介して福森隼吉に渡した右八〇万円が、西島に供与するための賄賂であつたかどうかについて検討する。

この点に関する主な積極証拠としては、原審及び当審証人西島廣人の証言と被告人の司法警察員に対する昭和五三年七月四日付、同月五日付及び同月六日付各供述調書がある。このうち、西島証言によると、昭和五〇年五月当時、自分はたびたび三機工業事務所に出かけて、被告人が苫小牧エネルギー公社の委託に基づいて行つていた三機工業が苫小牧市から受注する予定の公訴事実記載の昭和五〇年度地域暖房サブステーション設備工事の設計積算の作業について、被告人と打合わせをしたり又は被告人に助言したりしていたが、その作業が一段階した同月末ころ、右事務所において、被告人に対し、「この工事で、八〇万円くらい捻出できないだろうか」と頼んだ。というのは、自分の上司らは出張という名目で方々遠方へ旅行しているが自分にはそういう機会がなかつたので、同年七月ころ予定されていた関西方面への出張のついでに九州方面へ観光旅行をしたいと考え、その費用として八〇万円くらい用意したいと思つたからである。自分が被告人に対し右のように頼むと、被告人はちよつと戸惑つた感じを示したが、すぐこれを承諾してくれ、ただ、「直接、うちから(八〇万円を)支払うことができないので、仲介人をいれてもらいたい」と言つたので、自分は、「後で連絡するから」と言つて、その話を変えた。そこで、自分は、同年六月末ころ、福森隼吉に対し、「三機工業から八〇万円くらい回してもらうので、これを受取つてもらいたい」旨頼んだところ、同人は渋つていたが結局これを引受けてくれた。そこで、同年七月中旬ころ、自分は被告人に対し、福森隼吉に前記の仲介を依頼したことを告げ、福森工務店の所在地などを被告人に教えた。その後同年九月上旬ころ、自分は福森から、「被告人と連絡した結果、八〇万円は三機工業の下請業者を通じて三回くらいに分けて支払うということであるから、入金したら渡す」という報告を受け、このような経過のすえ、自分は福森から、公訴事実記載の各日時、場所において、現金二五万円と額面二五万円の小切手を受取つた。被告人が八〇万円を渡してくれるのを承諾したのは、前記の設計積算の作業などに関し自分に種々世話になつたからであると思うとの趣旨の証言をしている。西島の右証言全般には後記のとおり種々の疑問点がみられるが、とくに原審及び当審公判廷を通じ右のとおり証言している。

次に、被告人の前掲各供述書をみると、西島と被告人との間でかわした言葉の内容や出来事の日時などに関し些少の食い違いがみられるが、ほぼ西島証言に符合する趣旨の供述記載があり、要するに、被告人は同年五月末ころ三機工業事務所において、西島から八〇万円を用意してもらいたい旨頼まれ、その際西島は話しにくいような、よそよそしい態度を示していたので、それが賄賂の要求であることはすぐ分つたこと、しかし、西島から公訴事実記載の各工事に関し、種々世話になつていたし、また今後も世話にならなければならないと思い、西島の要求を承諾し、ただ、「直接、出せないので、どなたか間に入る人がいませんか」と言つて仲介人を入れてもらうよう頼んだこと、その後、西島から福森工務店の福森隼吉社長に仲介人を引受けてもらつた旨連絡を受けたので、同年七月下旬、坂本一昭に対し、福森工務店に支払う八〇万円を捻出するよう依頼したこと、三機工業と福森工務店との間には取引関係はなく、自分は福森と面識もなかつたが、電話で同人に対し、坂本設備工業から八〇万円を受取つてもらいたい旨連絡したこと、その後、八〇万円の授受について福森や西島から連絡や報告もなく、西島から礼を言われたこともないが、八〇万円は坂本及び福森を介して西島に渡されていたものと思つていた旨の供述記載がある。なお、原審証人福森隼吉は、西島証言及び被告人の自白のうち、福森に関する部分についてこれを裏付ける趣旨の証言をしている。

以上の各証言及び自白を総合すると、被告人は西島から賄賂として八〇万円を供与してもらいたい旨依頼されてこれを承諾し、福森を介して西島に供与する意図のもとに、坂本一昭に指示して八〇万円を捻出させてこれを福森に渡したものである、と一応認めることができる。

(一)  しかしながら、西島証言及び被告人の自白の信用性について詳細に検討してみると、右証言及び自白には、次のような不自然、不合理な点や、関係証拠によつて認められる諸情況に照らして疑問をさしはさまざるを得ない点が種々認められ、その信用性には多大の疑問を抱かざるを得ない。

(1)  西島証言及び被告人の自白によると、西島が被告人に対して八〇万円を捻出してもらいたい旨依頼して賄賂を要求した際、被告人が「直接これを支払うことができない」ので、「仲介者をいれてもらいたい」という申出をし、そのため、西島が福森に対して右賄賂の授受の仲介人になつてもらうことを依頼し、その結果、被告人が坂本一昭に指示して八〇万円を捻出させ、これを坂本から福森に渡し、次いで、その中の五〇万円が福森から西島に渡されたというのである。しかし、賄賂の授受に仲介者をいれるということは甚だ異例なことであつて、不自然の感を免れないものである。ことに、関係証拠によると、被告人又は三機工業と福森工務店との間には取引関係も交際関係もなく、面識すらなかつたことがうかがわれる(面識の点について、福森証人は、以前に苫小牧市役所で被告人と会つて名刺を交換したことがあるというが、被告人の原審及び当審公判における供述並びに当審証人佐藤(旧姓富樫)美代の証言によると、市役所で被告人と会つて名刺を交換したことがあるという福森証言は信用し難い。)しかも、被告人は右八〇万円の支出を承諾した後においても、福森と一度も面会せず、ただ電話で福森に対し「坂本設備工業から八〇万円を受領されたい」旨連絡しただけで、福森が被告人にとつて信頼できる人物かどうかの点になんらの意を払うことなく、八〇万円を福森に支払つていることが明らかである。しかし、被告人のような立場にある者が公務員に対し八〇万円もの多額の賄賂を供与しようとする場合、このように取引関係もなく、その人物を信頼してよいかどうか知るよしもない第三者に賄賂の授受の仲介を委託することは、およそありそうもない事柄であろうと思われる。たしかに、被告人が西島から言われた八〇万円を捻出するには坂本に依頼するほかなく、この意味で直接に八〇万円を支出することができなかつたことは明らかであるが、坂本に依頼して八〇万円を捻出させたうえは、被告人みずからこれを西島に供与するか又は被告人が信頼を寄せていた坂本をして直接西島に供与すれば足りるのであり、これが賄賂を供与しようとする場合の通常のやり方であり、後日に証拠を残さない方法であり、被告人においてもこの程度の注意を払うべきことは当然心得ていたと思われる。本件八〇万円を賄賂とみた場合、右授受に福森を関与させたことは理解し難く、この点において西島証言及び被告人の自白には不自然、不合理な点が含まれているといわざるを得ない。

(2)  被告人が西島から八〇万円を捻出してもらいたい旨依頼されたのは、前記のとおり、昭和五〇年四、五月ころであり、他方、被告人が坂本一昭に指示して八〇万円を捻出させ同人を介して福森にこれを支払つたのは、同年一〇月三一日に二五万門、同年一二月三〇日に五五万円であり、その間、約七、八か月間を経過している。しかしながら、民間業者が関係公務員から賄賂を要求され、当該公務員からその職務上種々便宜な取り計らいを受けたことの謝礼及び将来も同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに賄賂を供与しようとする場合、賄賂の要求を受けてからこのように長い期間をおいて供与するというようなことは異例である。もつとも、被告人が右八〇万円を捻出するため坂本設備工業をわずらわすほかなく、これを調達するためある程度の期間が必要であつたようである。しかし、右八〇万円の捻出源となつた坂本設備工業の三機工業本社に対する東小学校給排水切替工事代金一八五万円は、前記のとおり同年九月三〇日金四八万円、同年一〇月三一日金五三万九八五〇円、同年一一月二九日金三三万円、同年一二月三一日金五〇万円それぞれ支払われているのであるから、被告人において、西島から依頼された八〇万円をもう少し早く支払うつもりであつたならば、より早期に右八〇万円を福森に支払うことができたはずである。また、被告人の捜査官に対する供述、原審及び当審公判における供述によると、被告人は当時五万円ないし三〇万円程度の交際費用の簿外資金を用意していたことが認められるから、これらの金員から西島にとりあえず若干の金額を用立てることもできたと認められる。あるいは、坂本一昭に命じて一時立替払いの方法で福森ないし西島に金を支払わせることもできたであろうと思われる。しかし、本件全証拠を精査してみても、被告人が西島から依頼された右八〇万円を少しでも早く支払おうとする配慮を払つた形跡は全く認められない。

更に、注目されるのは、西島においては、同年一〇月三一日福森から公訴事実記載の二五万円を受領した後、前記二、(3)のとおり福森に対して残金を早く受取りたい旨暗に催促したりしたのに、被告人に対して直接右八〇万円の残金を早く渡してほしいというような催促をした形跡はない。西島が仲介者にすぎない福森に対して催促をしながら、被告人に対してなんの催促もしなかつたというのは不可解である。西島は、被告人に対しては、右八〇万円は福森工務店の借工事代金の立替払いとして依頼していたにすぎないからではないかと疑われるのである。また、西島は、被告人から坂本及び福森を介して本件八〇万円中の五〇万円を受領した事実を被告人に報告した形跡もない。関係証拠によると、昭和五〇年秋から暮にかけても、西島は被告人としばしば仕事の上で接触したり又は被告人からゴルフ場やキャバレー等に招待されたりしていたものであるから、本件八〇万円が賄賂であつたならば、西島はこれらの機会に被告人に対しこれを受領したことを告げて礼の言葉の一つでも述べるのが当然と思われるが、そのような形跡はないのである。これらの諸情況も、本件八〇万円を賄賂とみることについて疑問を投ずるものである。

(3)  被告人の自白によると、被告人は、三機工業の公訴事実記載のサブステーション設備工事の受注、施工について、西島から種々便宜な取り計らいを受けたことの謝礼及び今後も同様に便宜な取り計らいを受けたいと考えて、西島から賄賂の要求を直ちに承諾したというのであり、西島証人も、原審及び当審各公判廷において、右工事に関し被告人に対し種々の便宜を供したとの趣旨を供述している。しかし、苫小牧市建築部長である当審証人後藤弘義の証言、被告人の原審及び当審公判廷における各供述、三機工業が右工事を受注した経緯等に関する書類として原審及び当審において取調べられた各証拠物を総合すると、(イ) 公訴事実記載の各工事を三機工業が苫小牧市から特命方式で受注することは、同市南地区の地域暖房の熱源供給ボイラーブラント等が、三機工業が出資者の一員である苫小牧エネルギー公社の発注により、三機工業がこれを建設したこと、及び同地域内の公共施設等に設置される熱供給サブステーション設備の保守管理は右公社に委託して行う旨の基本的合意が同公社と苫小牧市との間で結ばれていたことなどの経緯から、ほとんど既定の事柄であり、それが同市建築部建築課の主査であつた西島の裁量や取り計らいなどによつて左右される余地はなかつたこと、(ロ) 工事の施工の面においても、公訴事実記載の各工事は技術的に特殊なものであつて、西島において実質的、内容的な事項について監督する能力を十分持ち合わせていたとはとうてい言えない状況であつたこと、(ハ) 昭和五〇年度に三機工業が受注する予定であつた諸工事の設計積算書の作成などについて被告人は西島から種々助言を受けていたが、それも設計積算の内容などにわたるものではなく、形式的、末しよう的事項に関するものがほとんどであつたことなどの事実を認めることができ、その他右各証拠に現われた諸情況に照らすと、被告人ないし三機工業において、公訴事実記載の各工事の受注、施工等に関し、西島から格別の便宜な取り計らいを受けたとか、将来においても同人にそのような格別な取り計らいを期待しなければならない状態にあつたものではないことが認められ、この点も本件八〇万円が賄賂であるという西島証言及び被告人の自白の信用性に疑いをさしはさませるものである。

もつとも被告人の捜査官に対する各供述調書及び原審公判廷における供述、西島証言などによると、被告人は、前記現場責任者として勤務中、しばしば西島をゴルフ、キャバレー、麻雀などに誘い、始終、昼食などを提供していたことが認められるが、それは、西島が同市建築課主査としてひんぱんに三機工業の職員と接触する地位にあり、被告人としては西島との円滑な交渉を保持しなければならない関係上最少限度の接待をする必要があると考えて、右のような接待をしていたものであるとともに、また、西島を遇するにはせいぜい右の程度の接待で足りると考えていたものと認められるのである。被告人が右の範囲を超えて現金八〇万円もの賄賂を提供しなければならないほど西島の地位を重視していたとは関係証拠から認められる諸情況からみて肯認し難い。

(4)  西島証言の内容全般を通らんすると、供述が理由なく変せんしたり、前後矛盾する点やあいまいで不明瞭な点又は逃避的態度に出ていると思われる供述部分等が散見される。被告人に対し八〇万円を捻出してもらいたい旨依頼した際、自分としてはこれを賄賂とは考えなかつた、ただ福森から現金二五万円を受領したころになつてはじめて賄賂であると思うようになつたと供述しながら、他方、自分の右要求に対して被告人は「公務員と民間業者の立場の違いから」賄賂の要求と気づいたにちがいないと思うなどと供述している(西島の当審証言参照)点は、矛盾の甚だしい一例である。

また、被告人が捜査段階の初期と後期において、右八〇万円は借工事代金の立替払いとして支出した旨詳細かつ具体的に供述していたのに、捜査段階の中期に司法警察官に対し右八〇万円は賄賂として供与した旨自白した原因について、被告人は、原審及び当審公判廷において、次のとおり、すなわち、当時、警察官に対して、右八〇万円は賄賂ではなく、借工事代金の立替払いである旨くり返し弁解を続けたが、これを聞きいれてもらえず、そのあげく、警察官から大声で「嘘をつくな」、「責任をとれ」などと怒鳴られ、この状態が数日間続くと、自分はすつかり神経過敏になり下痢を伴う状態になり、しかも、警察官から、あくまで否認を続けるならば会社の上司や同僚まで呼んで取調べるなどと言われ、これらの人々に迷惑をかけることをおそれて、虚偽の自白をしたこと、しかし、その後やはり真実を述べなければ取りかえしのつかないことになると考えて、右自白を取消したものであるなどと供述している。被告人の自白内容に前記のような不自然、不合理な点が種々含まれていること等を合わせ考慮すると、自白の原因、動機に関する被告人の右弁解はにわかに排斥し難いものと認められる。

(5) 原判決は、原審証人西島の証言を信用すべき理由として、西島は「騙す方法を取ろうと取るまいと金員を収受すれば、いずれにしても犯罪に問われるものであり」、また、西島が当時経済的に困窮していたなどの事情も認められないから、「わざわざ被告人を欺いてというような手のこんだ方法をとる必要性もなく、そうしたことは考え難い」との趣旨を判示している。しかし、西島の当審公判廷における証言によれば、同人は当時相当数の業者から本件の五〇万円を含めて総額約二五〇万円に及ぶ賄賂を収受したとの事実について有罪を認定され、第一審で懲役刑の実刑判決を受け、控訴審で懲役刑の執行猶予の判決を受けたものであることが認められ、このような人物が色々な関係業者に対して、ある時は賄賂を要求しある時は詐欺的方法を用いて金品を取得しようとすることは、決してあり得ないことではない。また、収賄と詐欺とでは社会的非難の程度に大きな差異があるから、詐欺の事実をいんぺいして収賄の事実を供述することもあり得ることと考えられ、原判決が西島証言の信用性を肯定すべき理由として前記のように判示している点には賛同することができない。また、原判決は、西島と福森が「被告人を陥れるため通謀したと窺わせるような点は全くない」から右両証人の証言は信用できるとしているが、本件において右両名の通謀を推測させるだけの証拠が提出されていないからといつて通謀がなかつたとは断じ得ないし、また、通謀の有無にかかわらず、虚偽の証言をすることがあり得るから、この点の原判示にも賛同することができない(なお、西島が福森に対し、前記二、(3)で認定したように暗に残金を早く受取りたい旨催促したり、また、三〇万円を福森工務店の税務対策費として使つてもらいたい旨申し向けている言動には、不明朗さを感じさせる点のあることを付言しなければならない。)。

(二)  翻つて、本件八〇万円は借工事代金の立替払いとして支出したにすぎないという被告人の弁解の信用性について検討してみると、次のとおり、関係証拠によつて認められる諸情況に照らしても不自然、不合理な内容のものと認められず、原判決が説示するようにこれが信用できないとすることはできない。

(1) まず、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、被告人の原審及び当審公判廷における各供述を通らんして、被告人の弁解の経過及び内容等をみると、昭和五三年六月二三日本件贈賄の容疑によつて逮捕され次いで勾留されその後公訴の提起を受けるまで、警察官、検察官によつて多数回にわたつて取調べを受け、その間前記のとおり同年七月四日ころから同月六日ころまで右贈賄の事実を自白したが(なお、自白調書は三通提出されているが、具体的内容を備えた自白は七月五日付供述調書のみである。)、これを除くと捜査段階においても贈賄の事実を否認し、原審及び当審公判においては終始一貫してこれを否認している。そして、右八〇万円は、西島から同人が苫小牧市建築課主査として工事の監督などをしていた福森工務店に対して同市から受注した工事に関して追加工事をさせたが、市の正規の予算で工事代金を支払う都合がつかず、そのため、福森から右借工事代金の支払いを催促されて困つているので、三機工業が同市から受注する公訴事実記載の工事で八〇万円くらいを捻出してそれで福森工務店の右追加工事代金を立替え支払つてもらいたい旨依頼されたので、これを承諾して、下請業者の坂本一昭に前記二、(2)記載のとおり指示して八〇万円を捻出させて、福森工務店に支払わせたものであり、右八〇万円中の五〇万円が福森から西島に渡されるというようなことは全く予期していなかつたものであり、本件が刑事事件として問題になつてはじめて右金員が西島に渡つていることを知つたにすぎない旨弁解している。右弁解の内容で変せんしている事項としては、捜査段階においては、被告人が西島から右立替払いの依頼を受けた日時場所は、昭和五〇年五月末ころ、三機工業事務所においてであり、当時、被告人が昭和五〇年度サブステーション設備工事の設計積算の作業に従事し、これについての打合わせなどのため西島に右事務所に来てもらつていた際に、右八〇万円の立替払いを依頼されたものであると供述していたが、原審公判以降においては、右の日時場所は、同年四月二六日、苫小牧市役所駐車場内であり、当日、被告人が部下の岩本久とともに西島をレストラン・パークブロイラーに誘い、同所で設計積算についての打合わせをし、それを終えて西島を市役所駐車場まで車で送つたが、その駐車場内で西島から立替払いの依頼を受けたものである旨供述し(なお、日時が四月二六日であることは、被告人が保釈を許可された後弁護人とともにサブステーション設備工事の設計積算などに関する証拠物を調査した結果、右設計見積書の日付が同年四月二五日であり、同見積書の控に原本を同月三〇日苫小牧市に提出した旨の記載があり、更に被告人が西島から前記の依頼を受けたのは昭和五〇年度物件について見積総額の打合わせをした日でかつ苫小牧エネルギー公社の職員が不在であつたときという記憶があるが、ちようど同年四月二六日は苫小牧エネルギー公社の創立記念日にあたりこの日には同公社の職員は設計見積りの打合わせに出席しなかつたことが確認された結果、四月二六日という記憶がよみがえつたものである旨供述する。)、更に、右駐車場内での依頼に先立つて、同年初めころと記憶するが、西島が三機工業事務所にきて雑談した際に、西島から、福森工務店に追加工事をさせたが予算措置がとれないため工事代金を支払つていないが、福森からそれを払つてくれとうるさく言われて困つているというような話を二回くらい聞いたことがあつたので、四月二六日右駐車場で福森工務店の借工事代金八〇万円の立替払いを頼まれた際、この程度の金であればなんとか捻出できるし、また、苫小牧市から公訴事実記載のような多額の設備工事を請負う三機工業の現場責任者として、市の担当者に協力してやつてもよいと考えて、直ちにこれを承諾したものである旨の供述を付加するなど、若干の供述の変せんを示しているが、これらの点を除くと、被告人の弁解内容は捜査段階と原審及び当審公判廷を通じほぼ一貫している。

(2) 右弁解の信用性についてみると、被告人が西島から福森工務店の借工事代金の立替払いを依頼されたという同年四、五月当時、実際に苫小牧市が福森工務店に対し前記二、(4)で認定したとおり合計約九六万円余りのいわゆる借工事代金の未払いが存在していたこと、これに先立ち同年初めころ、西島が三機工業事務所において被告人に対し、雑談の際にではあるが、地元業者に対して追加工事をさせたが、その代金を支払うため予算措置を講じることができないため困つているという趣旨のことを話したりしたことがあつたことは、原審証人岩本久の証言及び証人西島の当審公判廷における証言からもこれを認めることができること等を総合すると、被告人の右弁解は重要な点において客観的事実による裏付をもつものである。

また、右八〇万円を賄賂とみる場合、その授受の仲介者として福森が登場することの不自然、不合理性をさきに指摘したが、右八〇万円が被告人の弁解するとおりの趣旨の金員であるとみるならば、福森の登場は当然のことである。

さらに、右八〇万円を弁解どおりの趣旨とみることは、被告人が西島から依頼を受けた時点と金員交付の時点との間に前述のような時間的間隔が存在したこととも矛盾しない。すなわち、この点に関して、被告人の原審並びに当審公判廷における供述によれば、被告人は同年四月下旬西島から福森工務店の借工事代金の立替払いを依頼されて承諾したこと、しかし、ちようど五月の連休前で多忙であつたため、連休以降にこれを処理しようとして放置していたところ、その後、福森隼吉が被告人の留守中三機工業事務所にきて名刺を置いていつたことを事務員の富樫美代から聞いたが、どうせ福森のための用事だからと思つたので、一週間くらいしてから福森に電話して下請業者の坂本設備工業から借工事代金を支払旨告げたこと、そうしているうちに、坂本設備工業に請負わせる仕事がでてきたので、同年七月下旬ころ、坂本一昭を呼んで同人に指示して八〇万円の架空工事を上乗せした見積書を三機工業本社に提出して八〇万円を捻出して福森工務店に支払うよう指図したこと、その際、坂本は、三機工業本社からの工事代金の入金額に応じて分割して福森工務店に支払う旨答えたが、どうせ借工事代金の立替払いであるからそれでもよいと考えてそのとおり指示し、それで、八〇万円の支払いが右のように長期に及んだという趣旨の供述をしているところ、右供述に不自然、不合理なところはなく、むしろ、被告人が依頼を受けた時点と金員交付の時点との間に右のような時間的間隔のあつたことは、立替払いの依頼を受けその便宜をはかつてやろうとした被告人の立場に立つてはじめて理解しうるものである。(なお、福森証人は三機工業事務所を訪れたことを否定するが、当審証人佐藤(旧姓富樫)美代の証言と対比して信用できない。)

(3)  被告人の右弁解の信用性について、原判決は、原審公判廷における被告人の供述態度は、「到底自己の経験したことを述べるという態度ではなく、頭で考えたことをつじつまが合わなくなるのを恐れつつ述べるというもので、……いかにも虚偽の作り話を述べている供述態度」である旨るる判示しているが(原判決「有罪認定の理由」第一、(三)参照)、被告人の原審公判における供述内容を速記録で精査してみても、原判決が右のように断じたことを首肯できる形跡はなんら見当らない。他方、被告人の当審公判廷における供述態度をみると、被告人は神経質な性格であるらしくそのためと思われるが、供述態度に若干の動揺的に傾向がうかがわれるが、原判決が指摘しているような供述態度じたいからその供述の信用性に疑問を抱かせるような徴候はなんら認められない。

以上の諸点、その他記録に現われた諸事情を総合すると、本件八〇万円ないし五〇万円が賄賂であるという証人西島廣人の原審及び当審公判廷における各供述、被告人の前掲司法警察員に対する各自白の信用性については疑問があり、ほかに本件公訴事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて、被告人について贈賄罪を認めた原判決には事実誤認があり、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により本件について左記のとおり自判する。

本件公訴事実の要旨は前記のとおりであるところ、これについて犯罪の証明が十分でないから、同法三三六条により、被告人について無罪を言い渡す。

(渡部保夫 仲宗根一郎 大渕敏和)

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